
「ものぐさ」を訪ねてくださったお客様の作品と
梧桐 学の提案または返歌を記録しました。
2001年6月
6月30日
あさひなさん URL :http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hinoki/8806/index.html
俳句なのかな!?
「なつやすみ 大人になっても 恋しいな」
あおぎり
はははは。これは5−7−5で終わっているから俳句ですね。いや、内容からは川柳というべきか。俳句も大歓迎です。あさひなさんはOLですね。
改作(梧桐):
川柳として:
「OLは 夢での旅行 夏休み」
「OLは パンフレットで 夏旅行」
俳句として:
「グアムの海 ああなつかしい夏休み」
「エーゲ海 かつての夏に 泳ぎけり」
「なつかしや パリとロンドン 夏休み」
「夏休み 海・山も過去 OLぞ」
「夏休み なくて沁み入る窓の蝉」
6月26日
粋狂さん
「晩鐘の響いてきそうに風止みて寝藁求めて牛ども帰る」
現実は、牛は餌と搾乳の時間に牛舎に戻るのですが、寝藁を探しに来るように見えないこともないので・・・
あおぎり
いらっしゃい。歓迎歓迎!です。牧場経営されているのかしらん?
酔狂と言われるにしては真面目な作風ですね。「・・響いてきそうに風止みて・・」こういうのは理屈っぽい詠み方で、普通避けます。
改作(梧桐):
「風止みて晩鐘かすかに聞こえしや牛らのったり牛舎へ帰る」
はは、のんびりした牧場の夕暮れ風景、いい歌になりました。
6月28日
YUMAさん E-メール:yuntan_2001@yahoo.co.jp
俯いた 紫陽花遠く 涙落つ
子供たちの夢 立ちきえし夢
悲しみの中で、いつも上を向いて笑う紫陽花までがゆっくりと俯いて、
そんな情景の中でまた悲しみが膨らんでいきました。
あおぎり
作品を皆さんに理解して頂くために、ちょっと紹介しておきましょう。YUMAさんは大学生。その大学の付属小学校であの狂気の惨劇があったのです。あの事件はYUMAさんにとって、驚天動地だったし、底知れない悲しみであったわけです。その衝撃からまだ立ち直ることができないでいるわけですね。
添削・改作(梧桐):
「紫陽花も俯き雨滴の泪落とすあの子らの夢いづこに消えし」
6月27日
桐子さんのお母様
嬉しきは勤めを持ちしこの頃も我の肩もむ孫のやさしさ ・・・桐子母
あおぎり
素直な詠みぶりですね。ただ、上3句が「孫」にかかるということが、一読で分からないのが残念です。
添削(梧桐):
「やうやくに勤め始めし我が孫が肩揉み呉るるやさしさうれし」
6月26日
かすみさん
時々出会った近所の少年がバイク事故で即死しました。
はにかみし少年在りて事故死せる朝くちなしの香り流れて
上三句の死せるを死せりにしたほうが良いのかと迷いました。
あおぎり
バイク事故ですか。バイクに乗っていたんですかね。真夜中に、我が家の前を暴走族少年らのグループがしばしば大音響をたてて走り去ります。「うるさい。かなわない。」と思いながら、一方で事故でも起こさないか心配もしているのです。あの勢いでは事故を起こしたらひとたまりもありませんから。相手だって無事では済まない・・・。もちろん、この少年ははにかみ屋で、およそ暴走族とはかけ離れていますが。バイクは乗ると痛快な乗り物らしいのですが、自転車同様、危険性も高いですね。
この歌、初句から第二句が晦渋ですね。おしい。
添削(梧桐):
「含羞の少年バイクに事故死せりその朝香に立つくちなしの花」
6月25日
桐子さん
この頃や一つ増えにし楽しみは少しのビールに詠む拙歌なり
先輩を偲ぶる想い隠しつつおどけて渡すメールアドレス
あおぎり
ビールを少し嗜むのは以前からですね、一つ楽しみがえたわけですから。短歌を詠む楽しみが増えた、と。こういうことですね。
改作(梧桐):
「拙くとも短歌詠むこと何時の間にビールのつまみと成りて楽しも」
「偲ぶる」はミスです。「偲ぶ」で連体形です。
添削(梧桐):(口語です)
「恋心隠したいから先輩にメールアドレスおどけて渡す」
6月24日
あおぎり
「にょきにょきと高層建築地より生え食物連鎖の悲哀を映す」(梧桐)
6月22日
桐子さん
シリウスは冬に必ず訪れど教えし君の影やうすれり
あおぎり
この歌、歌材としては申し分ありません。ただ、「訪れど」「うすれり」の言葉の誤用が作品を台無しにしています。「訪れる」「薄れる」は旧仮名遣い(文語)なら「訪る」「薄る」が終止形ですね。また、「君」という語は相手に執着があることを示し、「影がうすれた」という結句と少し相容れないと思われます。この点もなかなか短歌の微妙に関わっています。
改作(梧桐):
「冬の星シリウスはあれと指さししひとの影薄し星の彼方に」
この「ひと」は、自分の旦那のことを第三者に向かって言う時、(照れもあって)ちょっと自分から間をおいて使う「うちのひと」とか「あのひと」の「ひと」ですね。「わが君」の「君」とはかなり間がある。微妙ですが。
6月20日
長谷さん URL:http://www2.ocn.ne.jp/~nagatani/
近作1首
六輔も昭如、昭一饒舌に健さんと我寡黙に過ぎし
6月16日
桐子さんお母様
年老いて何にもまさる幸せは夕べ息子と共に酌む酒
あおぎり
この歌、添削するところはありません。これはこれで完成しています。ご母堂の生のお声、お気持ちが真っ直ぐ伝わってきます。手をいれれば却ってまずくなるでしょう。大したものですね。--- 梧桐
6月17日
桐子
お遍路の写真を見て、子供の頃よく見かけた修行僧を思い出しました。
寒風にちぎれし読経雲水の草鞋の足に浄土を信ず
あおぎり
子供の頃の思い出を詠んだのですね.今はあまり見かけない修行僧の姿.初句・第二句から第三句にかけてやはり語の運びに飛躍がありますね.また,ちぎれたのは「読経」の声なのでしょうが,ちょっと表現が唐突で収まっていません.さらに,第四,五句「草鞋の足に浄土を信ず」という比喩的表現活きていない.全体に,何を詠みたいのか,その気持の整理が十分ではないですね.詠みたいことに焦点が当たるように,他はそれを活かすような働きをするように,表現するのです.寒風にちぎれる読経の声と,雲水の草履履きの足が目立って,肝心の最後の心情の吐露が生きす隠れ,弱くなってしまっています.寒風にちぎれる読経の声だけでも一首詠めますよ.雲水の草履履きの足だけでもそうです.
改作(梧桐):
「寒風に雲水苦行の読経の声ひととき続きふたたび絶える」
これで十分いい短歌ですね.雲水の修行ぶりが彷彿とします.
改作(梧桐):
「雲水は寒風の中草履履く足に信仰のゆるぎなさ込む」
さて,原案の第五句,「浄土を信ず」は桐子さんの心情ですね.これに焦点をあてて詠んでみましょう.
改作(梧桐):
「寒風を裂いて雲水読経する声澄めばわれ浄土を信ず」
6月17日
かすみさん
遠い昔に関わりの有った人の影をワインの中に捉え
はかない縁を詠んでみました。
琥珀なすワイン煌き亡き君の影たまゆらに揺れて消えけり
あおぎり
ほとんど完成していますね。いや〜、いい歌作られます。これはいい歌です。
かって恋し、今は亡き人の面影は、いつも心理の深層に沈んでいるが、琥珀ワインのほのめきという具体にたまゆら投影され甦る。そう、その人との縁のはかなさも込められていますね。いや〜、いい。生涯独身というかすみさんの過去が、この作品を一穴として、覗き見られるようです。
ほんの少しの添削を・・・(「たまゆらに」とはあまり言わないから。)
「琥珀なすワイン煌き亡き君のみ影たまゆら揺れて消えけり」(かすみ)
これで完璧となりました。
6月14日
桐子さんお母様
寄り添う老夫婦をみて
つなぐ手に語り合いつつ歩を運ぶ老いた夫婦や我に夫なく
あおぎりさん
もう少しでいい歌になりますね。
添削(梧桐):
「夫なき身に沁みて見ゆ手をつなぎ語り合ひつつ行く老夫婦」
6月12日
かすみさん
朝の鏡
今日までの生きざまの感慨を上五句に込めました。
歩み継ぐ独りの生きに歳重ね朝の鏡に白き髪梳く
あおぎり
これも境涯歌ですね。それを現実の具体的行為により陰影付けする、という手法、やはりとても初心者ではない。
添削(梧桐):
「生き継ぎて歳かさねきてこの朝鏡に向かひ白き髪梳く」
(朝=あした)
これで、加齢の倦怠感までちょっと出ましたね。こうしてみると、いい歌です。
これに対して、かすみさんは独身を通したのでしょう、という鋭い指摘がゆう子さんから・・・。真実はどうですかね。もしこれが事実とするなら、その点を活かさねばなりませんね。
「身ひとつに生きて来しかな朝なさな鏡に向かひ梳くは白髪」
これでは素直すぎて、苦難の過去生が分からない?ではでは・・・
「やうやくに独りの歳月かさね来て朝の鏡に梳くは白髪」
かすみさん
独りで生きてきた諸々の抵抗の足跡を表現したかったのですが、
「独りの生き」の語調が気になっていました。
添削して頂いて韻の調べが滑らかになりました。
6月13日
桐子さん
亡き父を想いて
於 デパート
父の日に陳列されし品の数元気ならばとふと恨めしく
あおぎり
この歌にも語の運びに飛躍があります。しかしどうにか理解できます。もう少し分かり易くしましょう。
添削・改作(梧桐):
「父の日が近付くたびに口惜しも品豊かなる今を見せばや」
(口惜しも=くちおしも) (見せばや=見せてあげたい、の意)
ここではご父君は今は亡いことについてあらわには言っていませんんが、最終第5句がそれを含んでいますね。
6月12日
桐子さん
犬もまた無垢なるゆゑに夢の中神にあやされ赤子の如く
眠っている犬が時々嬉しそうな表情をしたり足を動かしたりまた声を出したりと、まるで人間の赤ちゃんが神様に遊んでもらっているようだったので、歌にしてみました。
あおぎり
歌材は新鮮で、詠み振りもなかなかです。とても初心者と思われない。ただ、語の斡旋など、やはりあと一歩という感じです。これは数多く詠い込むことできっと克服されるでしょう。素質は十分です。例えば、「・・・夢の中神にあやされ赤子のごとく」ですが、自分は現場を見ているからよく分かっている。だから多少言葉に飛躍があっても読者は理解してくれる、といった思い込みがみられます。より具体的には、突然「夢の中」と言われても、誰が眠っていて夢見ているのか、読者は一瞬戸惑います。「神にあやされ」と言われても、一瞬誰が?と思う。いずれも言葉に飛躍があるからです。あなたはわかる、現場にいるから。しかし、短歌は読者に理解されてこそ光り輝くのです。自分のためだけの短歌ならいいのですがね。それでは、折角の作歌が惜しいというものです。自分のためだけの創作は、まあ自慰行為ですね。この歌、ま、神様を持ち出すこともないでしょう。
改作(梧桐):
「眠る犬赤子のごとくふとゑまひ足ぴくつかす夢に遊びて」
6月10日
桐子さん
癒されて
リハ室に寡黙な医師の一人居てその眼差しや心も癒す
6月11日
あおぎり
よく詠めていますね。ただ、第4句末尾の「や」、詠嘆の情を込めたのでしょうが、かえってちょっと気になりますね。不自然に響くから。「は」でも十分詠嘆ないし感動は伝わりますよ。第5句、「心も」の「も」は、体も心も、の「も」でしょうね。しかし、体の方はリハビリが癒やすので、ここはむしろきっぱりと「を」としたほうがすっきりしますね。この医師は、リハビリ指導で体を癒やし、静かなまなざしで心を癒やす、こうした方がすっきりするわけです。この医師に対する信頼と憧れを越えた、ほのかな恋心が伝わってくる、いい歌です。なお、第1句の「リハ室」というのは「リハビリ室」の略でしょうね。これも一般には通じないかもしれない・・・。
添削(梧桐):
「リハビリを導く寡黙な医師をりてその眼差は心を癒す」
ああ、いい歌ですね。「その眼差は」は、「その眼差で」としたい誘惑にかられますが、それでは直截に過ぎるし理屈っぽくもなります。「は」でがまんする、という、こうした呼吸も大事ですね。ここまでくると、もうかなり高度な作歌技術の話になっています。
6月8日
桐子さん
親子
甘えてしあと追うヒナの無心さよ親鳥とうに子離れす
あおぎり
あははは。可憐な歌ですね。このままでもいいように思いますが、最後の字足らずが気になるし、折角ですから、ちょっとだけ触ります。(ところで何鳥ですかね。鴨?家鴨?鶏?)
添削(梧桐):
「子離れを疾うに済ませし親鳥のあとを必死に追ふヒナ愛し」
(愛し=かなし)
このように、語順を入れ替えてみるのもコツの一つですね。
6月7日
桐子さん
ふとしたきっかけから初めて気持ちを31文字に込めてみました。
この世では君との出会いせつなくて来世こそはと春風に祈る
通勤に君通うらしこのみちに愛犬連れて遠まわりす我
あおぎり
第三者としては、こんなこと言っておらず、積極的に接近されれば現世でもきっと道が開けるのに、と思ってしまうのですが・・。ま、添削しましょ。
添削(梧桐):
「現し世の君遠ければ来世こそ愛を得るべく風に祈るも」
(現し世=うつしよ)
かなり初々しい恋心ですね。
添削(梧桐):
「朝夕に君かよふゆゑこの道へ家犬連れて遠く通ひ来」
6月6日
YUMAさん Eメール:yuntan_2001@yahoo.co.jp
バラの花
薔薇手折り とげ戯れし我の手に 紅(あか)ひとしずく 花の涙か
薔薇をちょっと折ったら、刺が刺さって少し血が出てしまいました。
薔薇が、何しやがるんじゃこら!!とか言っているような気がして。
全ての生き物には命があって、人間は時としてその事を
忘れているけれど、忘れてはいけないものだな…と思いました。
あおぎり
これねー、あおぎりの旧作に次があるんです。
「薔薇の棘に手触れたるべく鮮血の指より出でてふっとこころよし」(梧桐 学)
読みは、(ばらのとげにたふれたるべくせんけつのゆびよりいでてふっとこころよし)です。これを示すことで、添削の代わりとします。
6月6日
大野富子さん Eメール:tomiko@icv.ne.jp
文月
紫陽花の藍の色冴え窓に見え語る人なく雨の一日
あおぎり
梅雨に入りました。紫陽花が一段と美しくなる季節ですね。
詠まれようとしているのは、まさに短歌的世界ですね。ただ、残念ながら言葉の運びが少々ぎこちなくて、せっかく情感あふれる雰囲気が活きていません。
添削(改作)(梧桐):
「窓の辺に紫陽花の華藍冴えて雨のひと日をわれに向くかも」
(窓の辺に=まどのへに)
6月6日
かすみさん
神水
山麓の神社で使う神水を訪ねて上流の三段の滝に辿りつきました。
神の水すくう両掌に草の影ゆれて飛沫けり三段の滝
あおぎり
かすみさん、なかなかですね。第一、切り取る歌材がいい。センスの良さを感じます。神の水、なんてなかなか思いつく言葉ではありません。両掌に草の影がゆれ、そこに滝の飛沫が降りかかる、なんてね、すばらしい美意識です。う〜ん、いいですよ。
ほんのちょっとだけ、下2句、前に着き過ぎなのが残念。ゆう子さん曰く、第3句と第4句の間を1字空けたら?つまり、
「神の水すくう両掌に草の影ゆれて 飛沫けり三段の滝」
ま、あおぎりは、別の手法で添削しますがね。
添削(梧桐):
「神の水すくふ両掌に草の影と三段の滝の飛沫きらめく」
いやー、いい歌です。(字余りがありますが、こうした字余りは、ゆとりある節調を生んで却って効果があります。しっかりと落ち着いた感じが出ているでしょう?)
6月4日
あおぎり
人は寂しい・・・
「夕風に丘の緑葉ざわめいてふつふつと寂し人の貌・貌」(梧桐学)
(貌=かお、と読んでね。)
いろいろなホームページを散策して、ほとほと人は寂しい生き物だと思った。ことに、BBSで遊ぶ人達においては・・・(なに、自分もその一人。)
6月1日
大野富子さん Eメール:tomiko@icv.ne.jp
水無月
燦燦と五月の光り栗林公園の数ある松の堂々として
広い公園に手入れも行き届いた松を見て読んだものです。
年齢−60歳
あおぎり
どんな松なのかな、一所懸命想像しながらの添削です。
添削:
「松はいづれも堂々として公園を覆いたり五月の光燦燦」